国際医療相談室 理事 |
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菅原 真子 |
当団体の理事に就任しました、菅原真子と申します。
私は東京都新宿区早稲田にて生を受けました。高校卒業後は中国の北京電影学院へ入学しております。在学中に習得した中国語を活用したいとの願いから、帰国後は中華人民共和国駐日本大使館、領事部に勤務しました。
中国大使館を退館後は2011年6月から海外渡航移植を支援する団体に勤務し、移植希望者を中国の湖南省と天津市の国立病院へ案内していました。
私は翻訳と通訳が主な業務でしたが、透析の付き添いも何度か経験しております。透析は本人しか分からない、辛く苦しいものと初めて知りました。おそらく多くのご家族の方は人工透析の現場を目にすることはないと思われます。終生続く透析から離脱したいとの思いから渡航移植を決意されたものと感じました。
当時、10年前は移植希望者がたいへん多く日々、患者様の対応に追われていました。
日本に住んでいると臓器移植は身近な治療ではなく、ごく限られた人が親族の善意により成し遂げられる治療と思いますが、海外では日常的な治療となりつつあることを知りました。
余命が数か月に迫り息も絶え絶えの方が、肝臓移植後はしっかりした足取りで帰国される姿を目にしています。まさに「してやったり」の感がこちらにも伝わってきたことを何度か経験しました。
また、腎移植を終えて僅か1週間余りで、別人の如く爽やかな容姿に変貌される姿に接する時は、こちらも心の奥から暖かいものが湧いてくるものでした。
透析患者は肌の色が黒ずんだり、荒れたりしていますが、移植後はピンク色の明るい色の肌に変化します。その時、移植治療の活動に携わって本当に良かったと感じる瞬間でもありました。
患者様にとって渡航移植とは正に、一大決心だったと思います。通訳だけではなく心のケアや気配りが何よりも大切だと知りました。
移植医療のお手伝いをできたことは、私にとって貴重な経験となりました。今でもあの当時の患者様と連絡を取り合ったりしています。
渡航移植の経験者が申すには「移植治療とは病気からの決別であり、あの日を境に第二の人生が始まりました」とおっしゃられます。末尾となりますが、どうか皆様の下へ幸運が訪れることを願っては止みません。